【インド】バス旅で一歩間違えたら死んでいたかもしれない事故にあった話


先月、ジャイサルメールからここウダイプルのバス移動中に僕は死にかけました。といっても、結果的に首周りが軽いむち打ちのように痛む程度で無傷です。安心して下さい。


予約していたツーリストバスはジャイサルメールのバスターミナルを時間通り夕方3時半頃ウダイプルにむけて出発しました。


乗車時から少し運転が荒いと思うところは多々あったのですのが深夜1時頃、突然の大きな音と揺れ、そして乗車客の悲鳴で夢から覚めました。僕は運転席のすぐ後の通路側の席だったのですが、ヘッドライト越しに照らされる景色はそれまで続いていた凸凹のあぜ道ではなく斜め上空の星空でした。バスに乗っているにもかかわらずまるで船に乗っているかのようなゆらゆらとした浮遊感。


この時点でいくつかのタイヤが地面から離れ操縦不能になっている事がわかりました。そしてなぜか一瞬脳裏にタイタニックの映像が思い浮かびました。


次の瞬間、一瞬無重力状態のような感覚の後、ものすごい音と衝撃とともにバスは横転しました。 気がつくと辺りは真っ暗で体が何かに挟まって身動きが取れない状態になっていました。上から何かが重たくのしかかっていて息をするのが精一杯の狭い空間しかありません。そして先ほどまでの騒然とした雰囲気から一転、ひっそりと静まり返った暗闇のあちこちから微かなうめき声が聞こえてきます。 頭の中はパニックでした。


自分が今上を向いているのか横を向いているのかもわかりません。とりあえずのしかかってくる何かを必死で押し返しました。なんとか横にずらして息がちゃんと吸えるようになりましたが、のしかかっていたのは乗客の一人でした。


目もだんだん慣れてきて周りが見えるようになってきたのですがバス内はまるで地獄絵図のようでした。横倒しになった車内は割れたガラスが散乱する中、人や荷物がメチャクチャに放り出されています。



寝台付きの豪華ツーリストバスは一瞬で廃墟のようになっていました。 なんとか動けるようになろうと人の固まりの中から必死にもがいて上に登ろうとしましたが、なかなか力がでません。


うおおおおおおお」とか漫画みたいに言ってしまいました。


もう少しと言うところで頭を何かに踏んづけられました。見上げると裸足のインド人の子どもがすでに割れてなくなっていたフロントガラスのほうから外へ出ようとしていたのです。 出口が見つかって僕もついて行こうとがんばりました。


なんとか体が自由に動くところまで出られたのでとりあえず靴と荷物を探しました。バッグの中にはヘッドライトがあったという事と、仕事道具である電子機器の数々、パスポートを含めた僕の全財産が入っていたのでここで失ったり壊れてしまったらなにもかも終ってしまう、そう思ったのです。


人命よりも荷物を探している自分の利己的な行動にこれまで生きて中でもっとも激しい自己嫌悪を感じました。それでも僕は夢中になって荷物を探していました。ヘッドライトが入っているからなんてそんな自分への都合のいい言い訳でした。


普段は「無償の愛」とか「生きるという事とは~」など哲学めいた事を考えている自分も結局、冷静な判断が下せないパニック下ではこんな人間なのかとうんざりしました。 靴と仕事道具はすぐに見つかりました。しかしメインのバックパックがなかなか見つかりません。


手探りであちこちを探していると、身に覚えのある感触が指先から伝わってきます。このバックパックは30kgほどあるのですが通路反対側の座席下の高さギリギリの隙間に挟み込んだはずだったのに横転の衝撃でこちら側まで転がってきていたのです。 なんとか持ち上げようとしても体制の悪さと狭い空間の中でなかなか持ち上げられません。


それでもなんとか引き上げようとしていると荷物の下からから漏れ出すかすかなうめき声に気付きました。なんとインド人男性が僕の荷物の下敷きになっていたのです。


一瞬で僕の中の何かのスイッチが入りました。いわゆる火事場のバカ力というやつです。30kgのバックパックを一気に放り出して、なんとか彼を救出する事ができました。でも自分の巨大な荷物のせいで彼に苦しい重いをさせてしまった罪悪感がその後ずっと残りました。


その後、足下の座席下にも一人埋まっていたのでなんとか引き出し、バスの外へ出ました。 すでに大半の乗客は外に出ていましたが、彼らを見て愕然としました。


みな頭や体の至る所から血を流し破れた服には黒ずんだ血がべっとりと付き、散乱したガラスで裸足の足からも血を流しています。 はっきり言って悲惨な光景でした。自分が想像していた以上に大きな事故だったんだとこの時解りました。 そんな中でなぜ僕だけかすり傷一つなく助かったのか?… 身震いと共にまたしても妙な罪悪感に苛まれました。


ふと後方からうめき声が聞こえ振り返ると、ロングのドレッドヘア、インドで買ったであろう白いヘンプ生地の服を身にまとった西洋人ヒッピーがバスの上で右肩を抱えて座り込んでいました。(※写真のバス上部の白い人物)


このバスで僕を除いた唯一の外国人旅行者です。後に聞きましたが、彼はベルギーから来たそうで地元でインドのアクセサリーショップをしているらしくインドは今回で3回目だそうです。



「大丈夫ですか!?」
「たぶん右肩が折れてる。動かせない…」
「ゆっくり下りてきて下さい!大丈夫!手伝います!」



なんとか彼を運転席のほうへ誘導して割れた窓から慎重に下ろし、ガラスが散乱している地面を整地してから落ちていたブランケットを敷き、近くの茂みまで運びました。 彼は「2ヶ月インドを旅してきたけど、僕の旅はここで終わりだよ」と下を向いていました。そして続けてこう呟きました。



「もうみんな無事にバスから出られたかな…死者は出てない?ぼくはそんなの見たくないよ」



30分くらいして何台かのジープ型のパトカーが到着しました。バス内を捜索している警官に生存確認をするとバス後部座席で一人亡くなったと説明を受けました。彼に仕方なくそう伝えると「oh…」と言ってその場にへたり込んでしまいました。


その後パトカーはベルギー人の彼を含め次々と怪我を負った乗客を乗せて病院に向かいました。何台も行き来するパトカーを見ていると



「キミも乗りなさい。病院でメディカルチェックを受けるんだ。」
「でも、僕はなぜか無傷で大丈夫なんです。それよりほかのけが人を優先して下さい。」
「だが、キミの友達の事もあるから一緒に来てくれ」
「(…? あぁ、さっきの彼の事だな)…わかりました。」



乗り込んだジープの荷台にはすでに何人かのインド人が乗っていましたが足から血を流したおばあちゃんは道中に何度も苦しそうに戻していました。


街灯も無いあぜ道を重苦しい雰囲気で病院を目指すパトカー。ふと見上げると新月も近いということもあり星空があまりにも美しく、今起きている現実とあまりにも対照的に思えました。 病院へ着くとスタッフが慌ただしく走り回っていました。


体のあちこちに包帯を巻かれた乗客はロビーのベンチや地べたに座っており、何人かはタンカーで外に運ばれ別の車に乗せられていました。
たぶん名前もわからないこの小さな街の病院では対応できない重傷を負っているのだろうと思いました。



その中にはぐるぐるに包帯を巻かれた小さな子どもの姿もあり、ますますなぜ自分だけ…。と助かった自分に対してひどく気が重くなりました。 乗客の中で外国人は僕と、治療室で診察を受けているベルギー人の彼だけだったので、必然的にその場にいるインド人の興味は僕に向き、質問攻めにあいます。



僕は実は1ヶ月前にもマナリ→リシケシ間で同じようにバス事故にあったが無傷だった事を話すとキミはなんてラッキーガイなんだ!!と握手を求められ、さらに落ち込みました。 でも今は本当に生きていて感謝しています。と同時に“死に時は今じゃない”と死神か何かに言われているような感じもあります。



実はこのバスに乗車する際、座席についてこんなやりとりがありました。


僕の予約したシート番号は「No.1」、運転席の後の窓側と説明をうけました。いざ座ろうとするとすでに誰かの荷物が置かれていたので、もう一度乗務員に確認してみたのですがやっぱりこのシートが僕の席だったので荷物を隣のシートにどかして座りました。すると通路反対側のスリーパー用シートで横になっていた初老のインド人がなにやら文句を言ってきました。


どうやらその座席はオレのだと言ってるみたいでした。


チケットをみせてもらうと、なんと彼の予約席も「No.1」と書かれていました。僕はだいたい飛行機でもバスでも列車でも景色のよく見える窓側が好きなので、文句を言ってきた初老の彼に「自分には分らないので乗務員に言ってくれ。彼(乗務員)はここが僕の席だと言っているんだ。」と座り続けましたが、その後乗務員が彼とヒンディー語でなにやら激しく口論を繰り広げた後、キミの席は通路側だ。移動してくれと言ってきたので、あまり納得はできませんでしたが従う事にしました。 病院で隣の窓側の席をとった初老の彼を見たとき、彼は体中を包帯で巻かれていました。


もしあの時、無理に窓側の席を取っていたら…
そもそも予約の時点で座席がバス後部にされていたら…と思うと今でもゾッとします。またそれまでいたジャイサルメールの酷暑から一転し、ノンACだったのにも関わらず夜間のバス内の肌寒さから久々に出したブランケットを頭からすっぽり被って寝ていたのもかすり傷一つなかった原因のひとつかもしれません。


とにかく僕は幸運でした。無事生きている事に感謝しています。 今回の件で僕は移動にバスを選ぶ事について考えさせられました。以前はよく移動に列車を使っていたのですが、



・チケットの手配(自分で直接駅で購入)の手間
・時に何時間待ってもやってこない不安ともどかしさ
・到着する直前までどのプラットフォームに列車が来るか分らない
・下車駅を人に聞きまわらないと分らず下りそびれる事がある



などの理由から、最近では多少乗り心地が悪くても目的地までスっと行ってくれる手軽なバスを選ぶようになっていました。 しかしインドは「交通ルールなどない」と言っても過言じゃないほど道路事情はメチャクチャです。


車とともに大勢の人々が縦横無尽に歩き回り、道路の真ん中で巨大な牛が何頭も突っ立っている事はもちろんの事、ヤギやロバの群れが道を占領している事もあります。その中でクラクションを派手にならし続け、無謀な追い越しをするオートリリキシャやバス、時には逆走までしているバイクが間一髪のところを縫うように暴走しています。 そんな光景を眺めていると、よくぶつからないなと妙に感心してしまうのですが、よくみるとやっぱりちょいちょいぶつかったりしています。


彼らの運転の豪快さはよほど自分の腕に自信があるからなのか、豪快に飛ばす事自体がカッコいいと思っているのか、はたまた自分の神に対する信仰心の深さでカバーできると思っているのか定かではありませんが、旅行者から見たら無謀としか思えません。


旅中にバス事故については何度か旅行者や地元民から耳にした事はありましたが、「まぁわかるけど、自分は大丈夫だろう」と典型的な根拠の無い思い込みをしていました。しかも一度被害にあった後にもかかわらず、です。(※他にも走行中にギアが壊れて発車不能となり代行バスが来るのをひたすら待ったこともありました)


これからインドを旅される方でバス、特に深夜バスを選ぶ予定がある方に強くお伝えしなければならないと思う事は



何があってもそれは完全に自己責任」ということです。



お金を出せば自分が思うそれ相応のサービスがほぼ安全且つ高確率に得られるのは日本であって、インドでそれは当てはまりません。レストランでお金を支払って何かを注文しても、それが本当に注文した通りのものなのか?想像通りの味なのか?清潔で安全なものか?それが本当に金額相応のサービスだったのかは実際に食し、後のトイレに入った時にしか分りません。


同じようにバスチケットを購入したからと言って必ずその場所に到着するとは限りません。到着してから、「無事ついてよかった」となるのです。特にインド北部地方(マナリ、レー方面)の山間部は電車が通っていないのでバスを選ばざるを得ないのですが、覚悟は必要です。


特にマナリ→レー間は5000メートル級の山越えを2度し、17時間以上かけて走り抜けます。場所によっては道も見通しも悪く、季節によっては雪も積もっていて滑落したら即死だろうなとおもうポイントもいくつもありました。 また雨天時、バスに乗っていてワイパーが作動しているところを未だに一度も見たことがありません。たいがい運転席の隣の関係者か、ドライバー自身が汚いぞうきんか何かで内側から窓の曇りを拭っているだけです。


 「移動にバスは使わない方がいい」と言ってるのではありません。選ぶならある程度の覚悟を決める必要がある、誰のせいにもできない。ということです。



何があってもおかしくない。しかもそれがとてもカジュアルに起こりうる、それがインド。



重い話になってしまいましたが、僕は元気です。今後は移動先の街に列車とバスの選択肢がある場合は列車優先になるとは思いますが、列車を選んだら必ず無事到着できるか?と言ったら「できる」とも言い切れないのもまたインドです。


こんな話を聞くと、「なぜそうまでしてインド?」となるかもしれませんが、僕はこんな目にあってもインドが好きです。実体験を通さない限り理解は困難ですが、ここで出会う様々なアクシデントすら許せてしまうほど魅力あふれる国であるのもまたインドなのです。 無事生きてさえいれば、苦い思い出や経験は良かったと思えるそれよりも心に強く焼き付き、後に「良かった」と思える日が必ずやってきます。



それはカタチの無いあなたの貴重な財産になると僕は信じています。